大竹しのぶは若い頃に服部と初婚・死別、さんまと再婚・離婚やはり魔性の女?

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f:id:fkdtk:20160806165109g:plain日本女優として「大竹しのぶ」を天才と呼ぶ声がある中で情熱大陸が紹介します。

彼女を知らない日本人はいない、特に大人の男性ではいないと思えるほど特に男性を虜にする魔性に女、恋多き女性と言われます。

なぜか、テレビ・映画等(水色の時、鉄道員ぽっぽや、後妻業の女8月27日公開)で一見、小柄できゃしゃな女性役ですが、実は実はその本性はただ者じゃない女が適役。

本当にそうなのか?あくまでも、うわさであり、映画・テレビの役所だけで、最初そう思いました。16才の女子高生デビュー時の写真からはあどけなさ、純情さが可愛い普通の女の子に見えます。名前は本名と同じで母親(エステル)本人(しのぶ)は聖書から付けられた、正しく清楚にという親の願いがあったと思われます。

そんな魅惑な彼女を知れば知る程、やはりただ者ではなく、彼女に相応しい呼び名は「魔性の女」「恋多き女」は間違いないと確信しました。なぜかをお話します。

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若い頃

 ●1957年7月17日、5人兄弟・一男四女の三女として東京生まれる。祖父が自由宗教家でクリスチャンである吉川一水でその影響で母子共に名前を聖書から引用しています。

終戦から12年、1955年朝鮮動乱でお隣の韓国と北朝鮮は米ソ代理戦争で米国から日本は特需を受け復興から高度経済成長に邁進する時期に大竹は生まれ育ちました。しかも5人兄弟ながら女性は4人、その3番目、末っ子でもなくライバルの二人の姉と妹、たくましく生き延びる根性を体術したのではないかと推察されます。

16才の高校2年生の時にフォーリーブス(例えば嵐・TOKIOの様な、人気絶頂の4人グループ歌手)の一人北公次(2012年肝臓癌病死63才)の相手役で一般応募からシンデレラガールになりました。

その後は映画「青春の門」、NHK朝ドラ「水色の時」主人公で益々、デビュー当時の清純・かわいい個性が浮動の人気となりその後の役も類似したものが多かったのです。

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高校卒業後は桐朋(とうほう)学園芸術短期大学に学びの場を移し役者・歌手の基本を学びつつも益々、仕事の依頼が増えてそこは中退しました。

●初婚相手の服部清治を婚約者中村晃子(あきこ)から略奪?●

1985年大竹25才の時、当時人気絶頂の歌手中村晃子 - Yahoo!検索(人物)

と婚約中のドラマプロデューサー服部清治氏に猛烈アタックその時の名文句「あなたの子供を産みたい」だったそうです。中村は大竹を「泥棒猫」と呼び非難しましたが31年前には文春の記事にならず無事?カップル成立、そして(長男)二千翔(にちか)誕生

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服部清治・しのぶ・二千翔の3人家族はわずか5年しか続きませんでした。服部氏が疲れて寝ている時に口臭が腐った卵の様に臭いのでおかしいと思い診断したら手遅れの胃がんだったそうです。(服部さんが中村から大竹に乗換えたのが胃がんの遠因?)

●失意のどん底、大竹をほっとけなかったさんまと1年後に再婚●

大竹は最愛の夫を病気でなくし落胆しきっていた時、半年は夜眠れず友達に電話し続けたがさすがに毎晩は遠慮した中で、共演していたさんまだけは2時でも3時でも快く答えてくれた優しさに励まされその優しさに癒やされました。

同時に長男二千翔に対して自分が幼少の頃、苦しんだ継母からの扱いから本当に我が子の様に接してくれたのを認めた大竹はさんまからのプロポーズを前夫の一周忌を過ぎた1988年31才、素直に受けることが出来たました。

さんまと大竹の間には愛娘長女IMARU(イマル)が授かり、4人暮らしの多忙ながらも賑やかな、笑いの絶えない羨ましい家庭がどこまでも続くと思われました。しかし破局は意外に早くきたと、以下大竹の半生をふりかえる番組での内容をまとめました。

出産後の半年も過ぎると休んでいた女優業が再開したくなり、さんまに尋ねると了解が得られた。大竹は小学時代から目立ちたがり屋で学級委員を率先して引受、更に女優にあこがれていたので芝居の稽古があれば、先生が止めるまで情感たっぷりに演技しました。

さんまは家庭でいる時は主婦・母親として夫を支え、二人の子供を養育して外では女優に変身する、この切替が出きると思って女優復帰を認めたのだがさんまの目にはそう見えなかった。

むしろ日に日に、自宅でも仕事量が増えたせいか、女優の振る舞いが増えていくことに不満が募った。そして大竹は根っからの女優で、本物の女優は24時間女優であると大竹から思い知らされた。家庭には女優でなく主婦がいて欲しいさんまの願望が砕かれた。

大竹の前夫、服部はドラマプロデューサーなので自宅でも遠慮なく女優でいられ、むしろ演技指導も自宅でしてくれたのと比べるとさんまとの生活はだんだんと希望に答えられていない後ろめたさと不自由感に苦しむ自分をいるのを自覚した。

さんまと大竹、互いの行き違いは妥協出来無い事と自覚して4年後1992年大竹35才で別れました。女優の自分を本当に受入れてくれる人以外は結婚できない、しなくてもいいと思い覚悟したようです。

あれから24年が過ぎた還暦直以前、さんまは2才年上なので61才、今なら互いにもっと妥協でき家族としての合意点を見いだせるのではと若き日の過剰反応を懐かしく思い返し後悔しているようでもありました。

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 ●まとめ●

女優は憧れの職業、運良く自分がなれた若き日16才から夢見た各役で得た失神するほど感動・達成感は服部清治氏と出会いライバルがいたが全身全霊で演技した結果の初婚。彼女は目標の役に入るとその人に成りきってしまうらしい魔性の女が既に開花。

女優は一生が平穏無事で幸福な女の役をやることはまずない、むしろ真逆で波乱万丈、だまし、騙される役、この見本の様な役が今月公開の「後妻業の女」。今までにも多くの「だめ女」を演技きった結果の女優としての褒め言葉は「魔性の女」になります。私生活でも女優のままだと気まぐれ、自分勝手のだめ女なってしまう。

ここでさんまの気持ちが判る、自宅だけは主婦・母は家族の為に生きて欲しい。

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