豊臣秀吉は天下人になれたが晩年認知症で墓穴、そこを家康に付け込まれる

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●天下統一時が秀吉の絶頂期で誇れる時代その後は惨めで不名誉な晩年に●

 秀吉は53才で北条家を滅ぼして天下統一を実質的に完成しました。
その後が公私に渡り、評価を下げる言動が続いた、

その原因は何か、認知症と性格に有ったとされています。本当に?

 

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認知症と未熟な性格が家族と世間を惑わした暗い晩年●

その天下統一から63才で死去するまでの晩年に向かう10年間は認知症と秀吉自身の性格により家族・側近はもちろん朝鮮半島の人々にまでも大変迷惑をかけました。

それはめぐりめぐって豊臣家と溺愛した秀頼の滅亡につながりました。秀吉の気質を天下人になってからは戒める敵・脅威なくなり、いっそう幼児の如くわがままで喜怒哀楽を抑えられない、どうしようもない短期、戦にても昔は才気あふれながらも、朝鮮出兵は単に冷徹なる外国侵略であったようです。信義無く

それを寧々や弟秀長、家臣の石田三成真田信繁等の側近が支えて対面が保たれていましたが晩年はサポートの限界を超えた状況でした。

しかし彼らはそれを殆どの場合、知りつつも止められず例えば捨松の出生に関する落書き事件で無実の人々を極刑に、甥秀次一門の惨殺、朝鮮出兵、キリシタン狩り、関ヶ原の戦いをなし、破れ家康に天下を渡さざるをえない遠因を53才頃から始まったと思われます。

豊臣家は滅亡の直接的原因は関ヶ原での敗北ですがその原因は味方陣営で起きた裏切り行為です。その張本には小早川秀秋、秀吉の正妻寧の甥が徳川の東陣営に寝返ったからです。豊臣陣営西軍は元々、一体化が不十分でした。中心者石田三成には人徳が乏しかったのです。その遠因は秀吉の晩年での愚政にあり人心が離れてしまいました。

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織田信長に出会えたからこそ豊臣秀吉は天下人に●

 豊臣秀吉は17才で織田信長に仕えて、立身出世のいち口を見出しました。大農家ではなく、一介の水飲み百姓のちょっと気の利くおもしろい青年でした。

信長の常人を超えたうけつの感性に秀吉は馬があったのか、いくさ毎に秀吉の才気あふれる行動を信長は高く評価しました。そして遂には家臣の中で最も頼れる大名となり中国地方の覇者毛利家を討伐を43才の時に命じらその地で戦っていた時に明智の謀反をしりました。

彼はこの氣を最大限に活かし明智光秀は勿論、織田家臣誰もが想像すら出来ない、速さで主君の仇討合戦に45才で大勝し天下人への道を53才で関東の覇者北条氏政征伐で完成しました。

●まとめ●

今でも豊臣秀吉は多くの人々に愛されてきた庶民派的太閤殿下と言われいますが、実は晩年には病に侵されて無実の人々を殺害したのろいを受けて死に対する恐怖心におびえる惨めな英雄でした。

秀吉の家族と側近達の責任は重大、身を挺して例えば、落書き事件関係者殺害、秀次一門の殺戮、朝鮮出兵、キリシタン狩りを阻止すべきでした。これらは晩年の10年以内に許されない暴挙でした。それは天運を失い、民意から恨まれたので、その後豊臣家は没落の一途は因果応報です。その意味で秀吉は長生きし過ぎたようです。  

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大竹しのぶは若い頃に服部と初婚・死別、さんまと再婚・離婚やはり魔性の女?

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f:id:fkdtk:20160806165109g:plain日本女優として「大竹しのぶ」を天才と呼ぶ声がある中で情熱大陸が紹介します。

彼女を知らない日本人はいない、特に大人の男性ではいないと思えるほど特に男性を虜にする魔性に女、恋多き女性と言われます。

なぜか、テレビ・映画等(水色の時、鉄道員ぽっぽや、後妻業の女8月27日公開)で一見、小柄できゃしゃな女性役ですが、実は実はその本性はただ者じゃない女が適役。

本当にそうなのか?あくまでも、うわさであり、映画・テレビの役所だけで、最初そう思いました。16才の女子高生デビュー時の写真からはあどけなさ、純情さが可愛い普通の女の子に見えます。名前は本名と同じで母親(エステル)本人(しのぶ)は聖書から付けられた、正しく清楚にという親の願いがあったと思われます。

そんな魅惑な彼女を知れば知る程、やはりただ者ではなく、彼女に相応しい呼び名は「魔性の女」「恋多き女」は間違いないと確信しました。なぜかをお話します。

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若い頃

 ●1957年7月17日、5人兄弟・一男四女の三女として東京生まれる。祖父が自由宗教家でクリスチャンである吉川一水でその影響で母子共に名前を聖書から引用しています。

終戦から12年、1955年朝鮮動乱でお隣の韓国と北朝鮮は米ソ代理戦争で米国から日本は特需を受け復興から高度経済成長に邁進する時期に大竹は生まれ育ちました。しかも5人兄弟ながら女性は4人、その3番目、末っ子でもなくライバルの二人の姉と妹、たくましく生き延びる根性を体術したのではないかと推察されます。

16才の高校2年生の時にフォーリーブス(例えば嵐・TOKIOの様な、人気絶頂の4人グループ歌手)の一人北公次(2012年肝臓癌病死63才)の相手役で一般応募からシンデレラガールになりました。

その後は映画「青春の門」、NHK朝ドラ「水色の時」主人公で益々、デビュー当時の清純・かわいい個性が浮動の人気となりその後の役も類似したものが多かったのです。

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高校卒業後は桐朋(とうほう)学園芸術短期大学に学びの場を移し役者・歌手の基本を学びつつも益々、仕事の依頼が増えてそこは中退しました。

●初婚相手の服部清治を婚約者中村晃子(あきこ)から略奪?●

1985年大竹25才の時、当時人気絶頂の歌手中村晃子 - Yahoo!検索(人物)

と婚約中のドラマプロデューサー服部清治氏に猛烈アタックその時の名文句「あなたの子供を産みたい」だったそうです。中村は大竹を「泥棒猫」と呼び非難しましたが31年前には文春の記事にならず無事?カップル成立、そして(長男)二千翔(にちか)誕生

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服部清治・しのぶ・二千翔の3人家族はわずか5年しか続きませんでした。服部氏が疲れて寝ている時に口臭が腐った卵の様に臭いのでおかしいと思い診断したら手遅れの胃がんだったそうです。(服部さんが中村から大竹に乗換えたのが胃がんの遠因?)

●失意のどん底、大竹をほっとけなかったさんまと1年後に再婚●

大竹は最愛の夫を病気でなくし落胆しきっていた時、半年は夜眠れず友達に電話し続けたがさすがに毎晩は遠慮した中で、共演していたさんまだけは2時でも3時でも快く答えてくれた優しさに励まされその優しさに癒やされました。

同時に長男二千翔に対して自分が幼少の頃、苦しんだ継母からの扱いから本当に我が子の様に接してくれたのを認めた大竹はさんまからのプロポーズを前夫の一周忌を過ぎた1988年31才、素直に受けることが出来たました。

さんまと大竹の間には愛娘長女IMARU(イマル)が授かり、4人暮らしの多忙ながらも賑やかな、笑いの絶えない羨ましい家庭がどこまでも続くと思われました。しかし破局は意外に早くきたと、以下大竹の半生をふりかえる番組での内容をまとめました。

出産後の半年も過ぎると休んでいた女優業が再開したくなり、さんまに尋ねると了解が得られた。大竹は小学時代から目立ちたがり屋で学級委員を率先して引受、更に女優にあこがれていたので芝居の稽古があれば、先生が止めるまで情感たっぷりに演技しました。

さんまは家庭でいる時は主婦・母親として夫を支え、二人の子供を養育して外では女優に変身する、この切替が出きると思って女優復帰を認めたのだがさんまの目にはそう見えなかった。

むしろ日に日に、自宅でも仕事量が増えたせいか、女優の振る舞いが増えていくことに不満が募った。そして大竹は根っからの女優で、本物の女優は24時間女優であると大竹から思い知らされた。家庭には女優でなく主婦がいて欲しいさんまの願望が砕かれた。

大竹の前夫、服部はドラマプロデューサーなので自宅でも遠慮なく女優でいられ、むしろ演技指導も自宅でしてくれたのと比べるとさんまとの生活はだんだんと希望に答えられていない後ろめたさと不自由感に苦しむ自分をいるのを自覚した。

さんまと大竹、互いの行き違いは妥協出来無い事と自覚して4年後1992年大竹35才で別れました。女優の自分を本当に受入れてくれる人以外は結婚できない、しなくてもいいと思い覚悟したようです。

あれから24年が過ぎた還暦直以前、さんまは2才年上なので61才、今なら互いにもっと妥協でき家族としての合意点を見いだせるのではと若き日の過剰反応を懐かしく思い返し後悔しているようでもありました。

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 ●まとめ●

女優は憧れの職業、運良く自分がなれた若き日16才から夢見た各役で得た失神するほど感動・達成感は服部清治氏と出会いライバルがいたが全身全霊で演技した結果の初婚。彼女は目標の役に入るとその人に成りきってしまうらしい魔性の女が既に開花。

女優は一生が平穏無事で幸福な女の役をやることはまずない、むしろ真逆で波乱万丈、だまし、騙される役、この見本の様な役が今月公開の「後妻業の女」。今までにも多くの「だめ女」を演技きった結果の女優としての褒め言葉は「魔性の女」になります。私生活でも女優のままだと気まぐれ、自分勝手のだめ女なってしまう。

ここでさんまの気持ちが判る、自宅だけは主婦・母は家族の為に生きて欲しい。

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水俣病の症状と感染者の現在。発生の原因はチッソという会社にあるのか?

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水俣病患者を見舞う三木武夫環境庁長官(1973年提供:毎日新聞

1945年8月15日の終戦から日本は米国駐留軍の管理下ながらも戦時下での物心両面の束縛から開放されて、物不足ながらも全国民が一丸となって日々の糧を得るために必死でした。

食べ物不足で皆が飢えていながらも殺し殺される戦時中よりも夢を持って生き抜いた時です。そして米軍の支援物資や冷戦下で日本を極東の自由圏拠点としての発展政策で多くの公共工事が実施され戦後わずか約5年で発展の産業基盤が揃いつつありました。

そこに1950年お隣の韓半島で起こった不幸な同族間戦争、朝鮮動乱は日本に莫大な特需をもたらし、遂に戦前基準を超えて高度経済成長に邁進する時代を迎えました。多くの国民が敗戦で傷ついたプライドと自信を取り戻しつつありました。

改めて日本の公害問題の起点になった水俣病の症状と感染者の現状を知りたいと思います。そして問題の発生原因はどこにあったのかを考察してみたいと思います。 

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水俣病の症状

水俣病の病名は、病状が最初に発生した地域名に由来します。熊本県水俣湾周辺で1956(昭和31)年5月に、新潟県阿賀野川流域で9年後 (昭和40)年5月に発見されたものです。

症状は中枢神経系の病気で四肢末端の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄きゅうしんせいしやきょうさく中枢性聴力ちゅうすうせいちょうりょく障害が主な症状です。手足が異常な折れ曲がり状態となり物を掴んだり、歩く事等の生活全般が困難な状態です。更に脳神経が侵されて脳性小児麻痺のような症状です。

 感染者の現在

水俣病は発生より60年以上が過ぎので過半数の患者さんはなくなりました。生存されている患者さんは専門の治療を継続的に受けておられますが治らない病気なので、本人は勿論、ご家族も明日に希望を持って生きることが困難な立場でご同情申し上げます。

他方、公害病患者ではない我々は健康のありがた味と責任を感じ、行政府・企業の動向が同じ過ちを繰り返さない様に意識して注視する使命があると思います。

発生の原因はチッソという会社にあるのか?

 熊本県水俣市に起こった奇病は新日本窒素肥料株式会社水俣工場が作るアセトアルデヒドの製造過程で使用した化学反応促進剤の水銀が汚水処理施設より垂れ流されていました。それが水俣病の元凶として認識されるまで10年間以上、放置されました。

そこにいた殆どの魚は薄い濃度の水銀化合物を吸収しただけなので不幸にして死なず、人々は海水汚染を小魚・猫・カラスの異常事態死からは理解できず、問題を継続してしまいました。小魚が接種された水銀は食物連鎖により水銀濃度が高められ、それを食べた地元の人々の中には水銀中毒症状に似た病状が老若男女に徐々に発生して奇病と評されました。 

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原因の断定は困難でした。なぜなら水俣工場と同じ製品を作り水銀汚染物も全国7箇所、海外で20箇所以上有りながらも被害報告はこの地域のみでした。戦前からの操業はながら症状が現れたのは戦後になってからです。ではなぜこの地域の戦後だけ?

その理由は戦後の生産量は戦前の数倍、また製造過程での水銀触媒の取扱が異なる。

日本窒素肥料㈱は技術力に優れていたので日本経済が高度成長期を迎え大量の需要に応えるべく地域住民を多く雇用して、税金も市財源の半分を占める程の強大な影響力を地元に持っていたことから、その会社を訴えたり非難することは当初は考えられませんでした。事件当初、地元の数少ない優良企業を市も失いたくなかったので被害者側よりも企業側に近かった様です。そうしたことも原因の特定化に長時間を費やした理由と思われます。

まとめ

終戦から10年間位はなんでも良いから食べられる事が優先した時、逆にこの時は餓死者がいた時、公害を防げなかったのは一刻も早く豊かに成りたい人々の焦り、性急さ。

無実の人を間違って有罪にすることを出来るだけ避ける為に「疑わしきは罰せず」という常識が法曹界にはあります。公害問題に関しては「疑わしきは原因が判明するまで製造停止」という姿勢が被害の拡大を防ぎ被害者の人権を守る近道と思えます。

何十年の時と何千人もの人体実験結果が無いと結論・再発防止ができなかった公害事件は悲惨で苦痛なる忘れてならない貴重な歴史です。   

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森永ヒ素ミルク事件の犯人は誰?流通してしまった原因とは?

f:id:fkdtk:20160727184501j:plain左図の缶は60年前、事件当時の森永粉ミルク缶

 1955年6月~8月に発生した森永ヒ素ミルク事件とは西日本を中心に猛毒のヒ素が添加物として誤って混入した森永乳業粉ミルクを飲んで結果、乳幼児130人が死亡、中毒症被害者数約1.2万人の甚大なる被害を出しました。

終戦から10年、戦後復興から本格的な経済発展がスタートした時期で、急激な経済成長に伴う水俣病の様な環境破壊と汚染が出現する前でした。その後の公害問題のモデルは既にこの事件が原型を表していいます。 その犯人は誰で、なぜヒ素入りミルクが流通したのか? 60年後の今再度、検証したと思います。

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・結局犯人は誰だったのか?最低でも3人いた

 ヒ素混入の経過】
1953年秋、 新日本軽金属清水工場で、ヒ素とリン酸を大量に含む物質が取出され、 静岡県衛生部が厚生省に照会したが、同省は「毒劇物取締法上のヒ素製剤 には該当しない」と回答、出荷可能となった。

私見『ヒ素は人間にとって猛毒、殺傷能力の高い殺人鬼と同じ、それを普通の人としてお墨付きを与えてしまった。解き放したのは本来なら取り締る責任がある厚生省の人達です。』


『どうして殺人鬼を人間世界に、彼らの言い訳の1つに、工業用として利用する為であれば人には危害を加えないと思ったのでしょうか?戦後10年目ではこのレベルの判断でもしかたなかった?マサカです』


日本軽金属清水工場で生産された大量のヒ素を含む工業用第二リン酸ソーダを、 新日本金属化学が購入し、さらに、丸安産業を経て松野製薬に渡った。
『工業用として売買している間は殺人鬼もひと気の無い原生林での移動でしかないので、人々にとってぎりぎり安全です。』

『新日本軽金属➪新日本金属➪丸安産業➪松野製薬:工業用品分野を原生林で例えましたが松野製薬は名前からして人間用品の会社、殺人鬼が誰にも知らされず人里に戻してしまった。』


松野製薬は、この第二リン酸ソーダを生駒薬化で脱色精製させ、協和産業に納入。


 1955年4~8月、 森永乳業徳島工場で、粉ミルク製造において、 原乳の乳質安定剤(酸度安定剤)として使用するため協和産業から3回にわたり 「工業用第二リン酸ソーダ」を購入した。

『松野製薬➪協和産業➪森永乳業(6番目):この三社は人間用品を扱う、殺人鬼ヒ素は最悪の商品に入り込む、終戦10年目頃はこの三社のどこでも内容物に安全性検査をしなかった。この時代の常識?』


森永乳業徳島工場で、粉ミルク製造工程でこの第二リン酸ソーダを使用し、 「森永ドライミルクMF缶」を製造した。

『殺人鬼ヒ素は誰にも止められず一番警戒心の少ない形態と言っていい粉ミルクに混じり愛情深い母親から乳幼児に侵入した。』

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 【流通してしまった原因は何なのか?】

  1. 添加物(乳質安定剤)の検査をしなかった(食品に対する製造物責任森永乳業徳島工場では、粉ミルクの製造工程で使う乳質安定剤の 「第二リン酸ソーダ」を検査せず使用した。
    『粉ミルクがスムーズに溶けて飲みやすくする目的で添加した第二リン酸ソーダ、今は食品添加物は十分な検査をしてあっても接種したくない現在と内容物の成分表示にはユーザーではなく製造者まで気にしなかった?当時、時代毎の常識に差が殺人鬼ヒ素を見逃したのか』
  2. 販売品の毒性検査が抜けた(食品に対する販売)森永乳業徳島工場への乳質安定剤の供給業者である協和産業で 毒性検査が抜けた。 食品工場への納入ということは、判っていたはずである。
    『粉ミルク用として知りながら納品用毒性検査の習慣のないのが常識、今では考えられない時代だった、戦後10年、平和ボケの始まったときなのか?この時代から敵は身近に味方の中に潜んでいることに公害等通じて何度も何度も味わう事になってしまう。』
  3. 厚生省の判断ミス(第一原因の認可ミス)そもそも、原料について厚生省が「毒劇物取締法上のヒ素製剤 には該当しない」と回答したことが原因で、出荷可能となり 流通してしまった。 
    『殺人鬼(ヒ素:添加物)を本来取り締るべき組織・厚生省が食べるものをいかに大量に十分に提供できるかを苦心していた時代。今の様なメタボ対策ではなく、栄養失調対策が最重要課題の1つだった』

まとめ

 戦後の日本史における最初の最悪事件の犯人は①厚生省の認可ミス、②協和産業の未検査、③森永乳業の未検査つまりこの3団体の担当者と責任者が本件の犯人、重大事件程複数の間違いにより発生、最低でも6人と言えます。


それには各部門で複数の人間が関わっていますが、責任者は①~③の各一人合計3人は裁定数年の刑務所暮らしにて裁定に対して最低の責任を取るべきです。
しかし、本件では森永の製造担当課長のみで他の二人は見過ごされました。厚生省の過ちは特に重大なのに見逃されています。

 

その後も数々の公害問題、薬害エイズ、最新では子宮頸がんワクチン等厚労省の認可に関する問題は責任自覚不足があるように思えてしかたありません。

 

中国のバク買いが最近は下火になったようですが。その商品の中に日本製乳児用粉ミルクもあると聞きました。日本ブランの安心感はかつての尊い犠牲の上に成り立っていることを関係者は決して忘れてはいけないと思います。  

 

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都知事選の最新の世論調査から予想して有力3氏のこの人が当選するべき

 

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都知事選挙はいよいよ終盤、投票日まで残り1週間を切りました。誰が次の都知事になるのか?
最新の予想では有力候補間では小池氏、増田氏そして鳥越氏の順に接戦が繰り広げられています。
候補状況から告示日当日あたりの序盤戦ではむしろ逆の情勢だったが、なぜへんかしたのか?そして選挙結果はどうなるのか?を掘り下げましたのでご覧下さい。

 

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有力候補3氏の終盤戦での状況からその投票結果を大胆予測

投票日前の最後の土日曜日23日・24日の世論調査結果は終盤状況の代表的指標です。そこでの有力候補3氏の状況は小池氏リード、続く増田氏、伸び悩みの鳥越氏です。

何故こうような状況なのでしょうか?序盤戦告示日前後はほぼ真逆状態した。

 

小池氏は序盤は思ったよりスロースタート、その後は堅実に女性票も

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小池氏は「崖から飛び降りたつもりで」と「自民党の公認を得られなくても」と言う様に組織票はなく、摩擦を起こしての出発で注目されましたが嫌われ者でもありました。その効果は序盤戦は長所と短所が相殺された状況で注目された割には本人も客観的にも「思ったより伸び悩んだスタート」と思います。

その後は自ら衆議院議員を辞め、母体の自民党ともある面、決別して当選する準備として政策と選挙戦を身体の限界まで遊説・課題の場所で視察と同時に公演するなどしながら、落ち度のない努力・真剣度・そして初めての有力女性候補等で広く好感度を上げたようです。

 

  増田氏は自公に押されて出た奥手の印象、徐々に伸びているも先頭には

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 増田氏は直前まであった参議院選挙の投票日を考慮して無理に待って、既に自民・公明党の公認と全面支援を確実にしながらも小池氏対策でその発表を遅らせました。

 

その戦術も長所・短所ありますが、今思えばコソクな戦術と多くの人々は思ってその結果は堅実な知事経験もあり、一番安心な候補と思われ支持母体もシッカリして断然有利と思われましたが、序盤戦は不人気で魅力に欠けるイメージで出遅れました。

公認を受けずに自民党東京都連の意向に反する様な小池氏を意識するあまり、党候補者以外を応援したら罰則するという発表の締め付けが党員と無党派層に逆効果でした。

 

鳥越氏は後出し・人気・野党統一の効果でスタートダッシュしたが

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それに比較すれば鳥越氏は知名度・人気度共に他2氏より優位な状況で、更にかつて無い野党連合候補として小池・増田の与党分裂とは対象的立場で序盤戦をスタートダッシュできました。
その時の世論調査は鳥越氏リード、後を追う小池氏増田氏と言う状況でした。

しかし、鳥越氏は都知事選の立候補を決意したのが7月10日参議院選挙結果発表から与党の伸びを止めないと「憲法が危ない…」と国政の流れを変えたい意志でした。

よって都政に対する政策も準備なく初めて立候補の決意を語れども政策は後で勉強してからと正直に言われたのを普段とは逆にマスコミから勉強不足を指摘されました。


鳥越氏は常にマスコミの立場から候補者の不足な点を非難していたからです。

 

人気と盛り上がりでは当初鳥越氏が有利でしたが、準備不足からテレビ討論会を欠席したり遊説回数が他候補に比べ少なく内容において政策内容が貧しい点をマスコミ等から指摘され徐々に人気に陰りが出ました。


それに追い打ちを掛けたのが21日発売の週刊文春による女性スキャンダル(14年前に20才女子大生との性関係)です。鳥越氏がどう否定しても最近、あの文春が発表しただけで無党派層の特に女性は鳥越氏から少なからず距離を置いたと思われます。


また宇都宮氏の公約を受け継ぎ、その代役を果たす立場で立候補し野党統一候補になった鳥越氏だが民進党の中には共産党ぎらいで鳥越氏の人物像にも同意できない人はすくなくない様で揺るぎな野党統一候補ではない状況も終盤の苦戦を招いてる様です。

 

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 まとめ(私見ながら鳥越氏(74才)4、増田氏(64才)ではなく小池氏(46才)都知事適し当選)

①鳥越氏の支援組織に(ネット右翼の妨害をする)しばき隊がいて宇都宮氏立候補事態や野党連合に少なからずマイナス作用を与えた故に鳥越は失速した様です。
また野党連合事態が難しいのに、更に反与党では都政には大混乱が予想されます。

都知事は日本最大の大型客船の船長の様な者です。初心者には難しい、政治経験が無い事は致命的と思えてなりません。

 

毎日新聞世論調査では「新都知事に優先して取り組んで欲しい政策2つは」の問いに対し、都民が感じている最重要課題がというわけです。

  • 41.9%-教育・子育て
  • 39.9%-医療・介護
  • 28.8%-都の行財政改革
  • 16/4%-治安・防災 など
  • 10%以下-オリンピック

上記、上位3課題は3氏共に主張していたように思えます。問題は実行する覚悟と行動力に差があると思うのです。鳥越氏は既に①で落選です。

残り小池氏と増田氏の決戦ですが、都知事として上記3大課題を実現できる候補者名は増田氏しではなく、小池氏と思えるのです。

何故に小池氏なのでしょうか? 
増田氏は都議会運営の与党である自公与党の公認・支援を受けて当選した事になり、都議連に頭が上がらないと既得権益に縛られている都議連に反対されたらその実行は困難です。よって消去法から小池氏が都知事として適任と思われます。      

 

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2016年中国は南シナ海で戦争をおこすつもりなのか?

 

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近年、中国 は南シナ海南沙諸島)の領有権を一方的に主張してそこの岩礁に空港・病院等を突貫工事で建設してその支配を既成化しています。


それに対して、フィリピンも昔からその地域で漁業をしてきて同様に領有権がある事を訴えてオランダ・ハーグの仲裁裁判所に提訴しました。その結果が7月12日に「中国領有権の法的根拠なし」と判決が出ました。

中国政府は予めこの様な判決を予測して何があっても中国の権利は守りぬくと断言していました。そして判決に不服の中国民衆の中には例え戦争という方法でもこの権利は守り抜くベキと言う者もいます。緊張が高まる中、海軍もあえてこの領海で軍事演習をして存在と主張をアッピールしています。

本当に今年2016年に戦争は有るのか無いのか、検証しました。


 

 

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2016年中国の思考と行動は我知らず戦争へ、いつそれは勃発するの?

 

米国は昨年10月より「航行の自由作戦」を通じてその海域に駆逐艦を航行させて施設の建設阻止を試みましたが建設は続行しています。米軍は次のレベルとして空母派遣を検討しています。

一方、
中国政府は南シナ海全域に領有権があると偏向教育を国民にしてきたので現状からはこの地域の紛争は2016年中に戦争まで発展する可能性があります。

1949年10月1日の建国以来約67年間今まで中国は1党独裁、共産党のみが存在できる。
もし自民党もしくは民進党だけだとしたらライバルがなく交代される心配がない。
そうすると頑張る人頑張るが、ダメな人でも党の力学でOK、汚職が頻繁に横行。

中国では長期間に利権が特定人物に集中しているので賄賂は利権に応じて取り放題、それを67年間継続した結果、党幹部は皆大金持ち、その息子は海外留学と高級車持ち。

 

共産党の恐れは民衆が党独裁の弊害を目覚め、変革を抑えられなくなる事です。
だから民衆の敵を外国にして国粋主義を煽る、国際圧力に屈すれば暴走しかねない。
米国が空母派遣すればそれを阻止するポーズは中国軍は明確にせざるをえなくなる。

 

南シナ海問題は共産党中国としては決して外圧に妥協できない存続がかかっている。
もう1つ、中国は太平洋を米国と2分割統治したいその足場としてこの領海は譲れない。

 

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南シナ海とはどんなところ?

太古よりこの地域を支配する国は無かった。いづれの国々からも遠く岩礁で満潮で水没してしまい良い飲料水も確保できなかった。その意味で近世まで漁場でしかなかった。

 

19世紀にフランスが大航海時代、植民地とした。しかし日本は大戦に備えアジア南下戦略この地域をフランスから奪還した。

 

そして日本は敗戦後、この地域の全ての権利を放棄してしまった。そこに蒋介石率いる国民党が進行したが、やがて国民党は共産党に敗走して台湾へ。


1970年代にこの地域から海底油田等の地下資源が確認されて、中国は異常な程の意欲で領有権を主張して、他国民が漁業等で近づけば力づくで排除しています。

 

 まとめ

 過去の歴史に学んだ政治体制は現代中国の様々な矛盾の根源は共産党独裁による国家運営、そのこと時代を主張することが自由でない国、その改革には犠牲が伴うが現状維持にも間違いなく既に多くに犠牲がと混乱があります。南シナ海問題はその典型です。

 

中国の経済力・政治力・軍事力の合算いわゆる国力がアメリカをしのぎ、明確にまさると自覚した時、中国は明確に軍事力行使をすると思います。今年はまだアメリカに十分勝っていないので予兆的紛争が発生するだけと思います。今のうちに根本対策を 

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